3 奇妙な来訪者


 


 優しく人当たりの良いシオンだが、もちろんすべての人間に好かれるわけでも、他者から悪意を向けられたことがないわけでもない。人間の心のあり方が様々である以上、全員に好かれるのはどう努力しても不可能だろう。叶の四兄弟と仲良くなった当初など、取り巻きや信者たちから妬みまじりの視線を向けられ、過激な者には面と向かって罵倒の言葉を浴びせられたほどだ。その後、彼らはなぜかシオンの前に現れなくなったが。
「………どうしよう」
 だが、いくら頭で理解していても、主君の部下である騎士に「信用していない」と断言されればショックである。良い侍従でありたいと思っているならなおさらだ。
「どうしよう……やっぱり、信用してもらえるように努力しなきゃだめかな」
 でもどうやったら信用してもらえるんだろう、と困惑しきった呟きをもらし、シオンは無意識の動作で軽く首を振った。だいぶ伸びてきた薄茶の髪が揺れ、窓から差し込む光に映えてきらきらと輝く。それを片手で払い、午前中に比べて高くなった陽に目を細めると、シオンは気を取り直すように息をついて足を速めた。
 問題は何も解決していないが、だからといって侍従としての仕事を放り出すわけにはいかない。
「……がんばって、仕事しよう」
 いつか認めてもらえるように、という前向きな決心を固め、シオンは一人で力強く頷いた。考えていることをつい言葉に出してしまうのは、一年近く前にシェラルフィールドへ呼び招かれ、カイゼルの侍従として生活するようになってからついた癖だ。無意識のうちに考えをまとめようとしているのだろうが、周囲の者からすればどことなく微苦笑をさそう光景である。
 案の定、使用人が使う小さな扉をくぐった先で、顔見知りの衛兵が笑いながらシオンに声をかけてきた。
「なにをがんばるって?」
「………え? ……あ、いえ」
「今日も忙しそうだな、シオン。お客人のお出迎えか」
 実直そうな壮年の男を見上げ、シオンは唇の端でつつましく微笑した。
「はい。そろそろ予定の時間になりますので」
「そうか。まあ、ご無礼のないように気をつけてな」
「はい、ジオさんもお仕事、がんばって下さいね」
 純粋な労わりに満ちたシオンの言葉に、ジオ、と呼ばれた衛兵は軽く片手を上げてみせた。おじぎしながらその横をすり抜け、壁にかこまれた狭い通路を抜けると、真昼の光に照らし出された庭園がシオンの視界に飛び込んできた。
 まだ春には間があるが、昼ともなれば降りしきる日差しだけで十分温かい。そっと瞳を和ませたシオンの耳に、大気を打つ羽音が連続して届いた。
「アポロ」
 シオンはやんわりと微笑を浮かべたが、だめだよ、と呟いて首を横に振った。とたんに舞い降りようとしていた鷹が翼を広げ、滑空しながらシオンの頭上を通り過ぎていく。再び空高く舞い上がり、大きな弧を描くようにして飛び回りながら、見事な翼を持った鷹は甲高い声で短く鳴いた。
 どうして手に止まらせてくれないの、という抗議めいた鳴き声に、シオンは薄茶色の髪を揺らして首を傾げた。口元に穏やかな苦笑が浮かぶ。
「アポロ、今は仕事中なんだよ」
 革も巻いてないし、と言いながら片手を持ち上げ、アポロに見えるように何度か振ってみせた。
「お客さんをお迎えしなきゃいけないのに、手とか肩にアポロを止まらせてたら失礼だろ? ね?」
 その説明に納得したのか、それとも単に別のものへ興味を引かれたのか、若い鷹は翼を羽ばたかせてシオンの頭上から離れていった。笑いながらその姿を視線で追い、シオンは何かに気づいたように碧の瞳を見張る。
 アポロがくるくると旋回する下に、衛兵が手綱を取って誘導してくる立派な馬の姿があるのに気づいたのだ。
 近づいてくるにつれて、日差しを浴びてつやつやと輝く月毛、軍馬であると知れるすばらしい筋肉、精緻な細工の施された鞍から、それにまたがる人物の姿まではっきりと見えるようになった。わずかな風をはらんでマントが翻り、鮮やかな紫の色彩を大気の中に刻みつける。それを視界の端に認めた瞬間、シオンは無礼にならないよう気をつけながら素早く歩き寄った。
 手綱を引いていた衛兵に目礼し、相手が下馬する動作をさまたげない位置に立つと、侍従として身につけた礼儀正しい態度で頭を下げる。
「ようこそおいで下さいました、第一位階の騎士様」
 相手の視線が注がれるのを感じながら、シオンは数秒の間を置いてそっと顔を上げた。
「我が主君は書斎でお待ちです。僭越ながら、私がカイゼル・ジェスティ・ライザード様のもとまでご案内させていただきます」
 このような場合、一介の侍従が第一位階の騎士に名を告げる必要はない。だからこそそこで言葉を切り、相手が馬から下りるのを手伝おうとしたのだが、どこまでも柔らかに響く声がシオンの動作をさえぎった。
「……君がカイザーの侍従のシオンかい?」
 驚いたように顔を上げ、声もなく湖のような瞳を丸くしたシオンに、第一位階の騎士は地面に下りたちながら薄く笑った。
「とりあえず、はじめまして。ああ、出迎えご苦労さま」
 手綱を持ったままの衛兵に指示し、月毛の馬を厩舎へ引いて行かせると、騎士はひらすら穏やかな調子でシオンに向き直った。
 見たところ、カイゼルとさして変わらない年齢の青年だった。黒い髪をゆったりと束ね、どちらかという細身の体を騎士服に包み、濃い紫の瞳をいたずらっぽく輝かせている様など、とてもではないが戦場を駆ける百戦錬磨の武人には見えない。よく言えば学者めいた風貌、悪く言えばただ単に平凡な面差しをしていた。眼鏡が似合いそうな顔だな、と胸中に漏らし、シオンは慌ててその考えを打ち消した。
 よけいな雑念を振り捨て、丁寧な動作でもう一度礼をする。
「お初にお目にかかります、第一位階の騎士様。シオン・ミズセと申します」
「ああ、うん。私が誰なのかはカイザーに聞いてないんだね?」
「あ、……はい」
 来客用の正面玄関に向かって歩き出しつつ、シオンは困惑した表情で眉を下げた。「第一位階の騎士が来る、案内しろ」という無造作な命令を受けただけで、相手が誰なのか、どういった役職の人間なのかはまったく聞いていないのだ。その『無造作さ』に慣れてしまったらしく、特に聞き返すこともなく命令を受けてきたのだが、シオンは今さらながら後悔の念が這い上がってくるのを自覚した。
「あの、申し訳ありません。第一位階の騎士様、としかお聞きしていなくて……」
「別に責めてるわけじゃないんだよ、そんなに縮こまらなくても大丈夫」
 聞いたとおり可愛い子だね、とささやきながらマントの留め金を外し、青年は当然のような手つきでシオンに差し出した。シオンも恭しくそれを受け取る。
「それじゃあシオン。君は私が誰だと思う?」
「…………はい?」
「だから。君は私が誰だかわかるかい、シオン?」
 豪奢な装飾のなされた玄関ホールを歩きつつ、シオンは礼を失しない程度の強さで青年を見つめた。優しげな顔は相変わらずの微笑をたたえていたが、濃紫の瞳だけは楽しげな光を宿して煌いている。完全に悪戯っ子の表情だ。
 もしかして遊ばれてるんだろうか、という後ろ向きな考えに捕らわれながらも、シオンはすさまじい速度で思考をめぐらせた。武人にしては日に焼けていない肌、筋肉のついていない体つき、丸腰の状況に慣れている動作、そして何よりライザードの屋敷をよく見知っている態度から、この飄々とした青年の身分を想像するのは難しくない。
「恐れながら……」
 それでも、間違ってたらどうしよう、という考えから口調が慎重にならざるを得なかった。
「エルカベル騎士団の軍師であられる、エディオ・グレイ・レヴィアース卿ではございませんか?」
 青年の瞳に興味の色が過ぎった。そのままゆっくりと首を傾げ、与えられた玩具を検分するような表情を作る。
「どうしてそう思ったか聞いてもいいかな?」
「あ……はい」
 正解か不正解かくらい教えてほしかったが、青年の様子から間違ったわけではないらしい、ということを感じ取り、シオンはほっと安堵の息をついた。
「……あの、少し前に、水上砦シャングレインから軍師様が帰還された、と聞いていましたから」
「それだけ?」
「いえ……えぇと、剣を」
「うん?」
「剣を、下げてらっしゃいませんでしたし、今だけ外しているにしても、少しだけ左肩を下げたり、馬から下りる時に鞘を払う仕草をしたりと、剣を扱う方がしがちな癖もありませんでしたし……」
「なるほど」
 青年はポンと手を打ち、ますます楽しそうな表情でシオンを覗き込んだ。
「でも、それならレイターのセスティアルなんかもそうじゃないかい?」
「あ、そうなんですが、セスティアル様とリチェル様以外のレイターは……その、カイゼル様と懇意にはしてらっしゃらないと聞いています。それなのに、貴方はとてもこのお屋敷のことを知ってらっしゃるように見えましたから」
「確かにね。騎士団で剣を扱わなくてすむ者など、レイターか頭脳労働専門の軍師くらいのものだ。消去法で私が軍師たるエディオ・グレイ・レヴィアースだと思ったわけだね?」
「はい。何よりレヴィアース卿は、カイゼル様をカイザーとお呼びしていらっしゃいましたから……」
「―――ああ」
 濃い紫の双眸に柔らかな光がともった。
「そうだね。我が友をカイザー、と呼ぶのなんて、幼馴染の私とセレニアくらいのものだからね」
 くすくすと肩を震わせるエディオ・グレイ・レヴィアースを見やり、シオンは知らず知らずにうちに強張っていた肩から力を抜いた。相手の名前と身分を間違える、という最悪の無礼は働かずにすんだらしい。
 会話をしているうちにだいぶ進んでいたらしく、廊下というよりはホールをつなげたような通路を抜け、ゆるく螺旋を描いた階段へとさしかかった。速度に気を使いながらそれを上り、書斎へと続く廊下に足を踏み入れる。カズイは少し前に帰ったようで、落ち着いた色調で統一された廊下はシン、と静まり返っていた。
 そこでエディオを振り仰いでしまったのは、先ほどカズイに「ここまででいい」と言われたのを思い出したからだ。碧色の瞳を楽しげに見下ろし、エディオはくすりと口元を綻ばせた。
「すごく面白いね、君は」
「はい………?」
「うんうん、面白いよ。すごくいい、これは思わぬ掘り出し物かもしれないね」
 シオンには理解できないことを呟き、しきりに頷いている年若い軍師を見上げ、シオンは心から困惑したように目を瞬かせた。何でもないよ、と安心させるように笑い、エディオは先に立って広い廊下を歩き始める。シオンも慌てて後に続いた。
「そういえばシオン。さっきの鷹は君のかい?」
「………え? あ」
 シオンは軽く目を見開き、次いで白皙の頬に朱を上らせた。見られていたとは思わなかったのだ。
「すみません、あの……」
「いや、責めてるわけじゃないんだよ。すごく賢い、いい子じゃないか」
「え?」
「私が来たことを君に教えてあげただろう? ………あれは、君が鷹匠にもらったのかな」
「あ、いえ」
 照れくさそうな微笑を浮かべ、シオンはふるふると首を横に振った。後でアポロを誉めてあげよう、とひどく単純な決意を固めながら、碧の瞳でエディオを見上げる。
「カイゼル様が、半年前の……『トランジスタ包囲戦』での褒賞だと。あっ、ほとんど……というかまったく功績は立てていないんですが!」
 自分には過ぎた褒賞だ、と思い込んでいるシオンは、自分の台詞を恥じたように慌しくつけ足した。エディオがほんのわずかに両目を見張る。信じられない言葉を聞いた、というように。
「……そうか、それはそれは」
 瞬き一つでその表情を消し去ってのけると、エディオは得難い何かを見るように瞳を細めた。
「……レヴィアース卿?」
「カイザーは」
「……はい?」
「カイザーはずいぶんと君が気に入っているようだね。彼にしてはすごくめずらしい」
「……っ、いえっ、そんな……!」
 シオンは勢いよく首を振った。謙遜でも何でもなく、シオンはカイゼルが自分を気に入っているなどとは思っていなかった。『魔力を消し去れる』という特性を持つとはいえ、シオンは力も、技術も、戦う術も持たない非力な存在なのだから。
 自分に価値があるとは露ほども思っていない少年に、エディオは口元にたたえた微笑をそっと深めた。
「じきにわかるよ。急がなくても、じきにね」
「…………え」
「ああ、着いたみたいだね。案内ご苦労さま、シオン」
 君もちょっと入りなさい、と軽く手招きしておいて、エディオは重厚な書斎の扉に手を伸ばした。
「あの、ノックを……!」
 とたんに慌て出すシオンには構わず、エディオはぐっと力を込めて書斎の扉を開け放った。楽しげな微笑を浮かべたままで。
 
 シオンは知らない。このごく短い間のやり取りが、自分自身の行く末を大きく左右するということを。エディオ・グレイ・レヴィアースという名の青年が、カイゼルとは違った意味で彼に深く関わってくることを。シオンが手に入れることになる力の存在を。
 知るどころか想像もできないまま、シオンはエディオの後に続いて扉をくぐり、丁寧な動作でそれを閉ざした。
 パタン、というごく小さな音は、笑い声に似た風にまぎれてふわりと消えた。






    


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