緒方結城(おがたゆうき)。職業、ディテクティブ・コントラクター。
 浮気調査や猫探しから、本来は探偵の仕事ではないボディ・ガードまで幅広く請け負う、裏の社会にその名を知られたプロフェッショナル。

 そんな彼は、万人を篭絡できる顔の良さと苦労性をあわせ持つ、現役の大学生だった。





00 ディテクティブ・コントラクター





「…………社長」
「あー?」
「あー、じゃねえよ。『これ』はなんだ?」
「ああぁー?」
「だからあー、じゃないって言ってんだろ、なんだよこれはっ!」
 両手を年代もののテーブルに叩きつけ、向かい側で煙草をふかしている男をにらみつけながら、緒方結城(おがたゆうき)はノートパソコンの液晶を細い手で指差した。そこには彼によって製作された表が映し出され、月々の収入、支出が細かい数字でびっしりと書き込まれている。
 社長、と呼ばれた久賀慎也(くがしんや)は、結城が指差したそれをやる気のない表情で見やり、テーブル上に両足を投げ出した体勢で紫煙を吐き出した。結城のこめかみが目に見えて引きつる。襟足をやや長く伸ばした黒髪に黒い目、男にしてはなめらかな白い肌、アイドル顔ともてはやされる綺麗な造作だけに、そういった表情をすると並々ならぬ迫力があった。
「…………おれ、先月はかなりの量の仕事をこなしたはずだよな? 何だか知らないけどホストクラブに潜入までして、ババアどもの色目と若い女の押せ押せパワーにも耐え忍び、無事に仕事を成功させて報酬をぶん取ってきたはずだよな? なのにどうして大幅に支出が収入を上回ってやがるのか、おれにも理解できるように四百字以内で説明してくれるか?」
「ああ、その上そこで知り合ったババアの一人に本気で惚れられ、裏社会にその人あり、とまで言われたディテクティブ・コントラクターがしばらくストーカーの被害に悩まされやがったんだよな」
「黙れ」
 ゴトリ、という音を立てて久賀の額に冷たい『モノ』が当たった。いつの間に取り出したのか、手のひらに収まりそうな銃を右手に構え、結城がそれはそれは凄絶な表情で引き金に指をかけている。
「ま、落ち着けゆーきちゃん? それって銃刀法違反だから。ぶっ放すと大問題だからさすがに」
 足でテーブルを押して椅子ごと後ずさる、という器用な芸当を披露しつつ、久賀はさすがに両手を上げて降参の意を示した。それを見やって結城が銃口を下げる。同時に殺気さえこもっていた眼光がふっとゆるみ、室内に漂っていたおどろおどろしい空気が霧散して消えた。
 この目が曲者なんだよな、と久賀は胸中に一人ごちる。長い睫毛や黒目がちの瞳に反して、結城の黒い双眸は怖いくらいに深く、ひややかな光を湛えて輝くものだった。ぎりぎりまで研ぎ澄まされたナイフのように。あるいは崩れ落ちる寸前の硝子細工のように。
「……お前、人の古傷を抉るんだったら命かける覚悟きめろよ? それくらいの気概をみせて抉れよ? つーか誰の命令でそうなったと思ってんだ死ね、今すぐ死ね横暴社長」
「いや、ババア本気にさせたのはどう考えてもお前の色香のせいだろ? オレは確かにホストクラブに潜入して来いって言ったが、そこのナンバーワンになれとは言ってないからな」
「この……っ」
 こめかみに思い切り青筋を立て、この社長にせめて蹴りの一発なりともいれてやろうとした、まさにその瞬間のことだった。
「ゆーきちゃんっ!!」
「うわぁっ!?」
 いきなり乱入してきた男の声と、それに抱きつかれた結城の悲鳴と、勢い余って引き金を引いてしまったことによる銃声が、人気のない事務所の室内に連続して響き渡ったのは。
「………あ」
 その場に落ちかかったすさまじい静寂を、しまった、と言わんばかりの結城の声が揺らしていった。それが呪縛を解く引き金になったのか、彫像のように固まっていた久賀が椅子を蹴って立ち上がる。
「―――――結城っ!! 本当に俺に向かって発砲するヤツがあるかっ、今ちょっと頬をかすめたぞ! 殺す気かテメェッ!?」
「おれのせいじゃない、っていうか今のは明らかにコイツのせいだろ!!」
 首に回った手を一瞬で振り払い、惚れ惚れするほど見事な動作で銃を突きつけると、結城は背後から抱きついてきた闖入者に嫌そうな目を向けた。
「流河(りゅうが)、おれに背後から近づくなって何回言えばわかるんだ? むしろおれに近づくなってすでに百万回は言った気がするんだが?」
「いやぁだって、結城ちゃんののバックを取れる機会なんざ滅多にないしねっ」
「撃ち殺しても?」
「いやん! 仮にもパートナーに向かってなんてことを!!」
 すさまじくひややかな結城の眼差しに、流河怜(りゅうがれい)はわざとらしい動作で体をくねらせた。結城の腕にぞわっと鳥肌が立つ。それも当然だろう。182センチの長身に黒の革ジャケットをひっかけ、下には派手な柄のシャツを着込み、とどめとばかりにシルバーアクセサリーをじゃらじゃらつけた男が、床に打ち伏さんばかりに瞳をうるませているのだから。
「………うるさい黙れ元敵。おれはお前なんか大嫌いだ。ついでにパートナーだと認めた覚えもない」
「あれぇ、でも契約はばっちり正規の手続きに従ってすませちゃいましたよね、社長さん?」
「おー、書類もばっちり」
「――――やめてやるっ! こんな職場やめてやる!!」
 当の社長が書類を振っているのを横目に、結城は今年に入ってから何回目か知れない叫びを上げた。よほどこの社長に苦労させられているのか、現在のパートナーに対して不満があるのか、そこには身を切るような悲痛な響きがこもっている。あはは、と笑い声を上げながら茶色の目を細め、流河は悪戯が成功した子供のように笑ってみせた。
「またまたぁ。やめるなんて出来ないくせに」
 それはどこまでも無邪気に、どこまでも軽く響いていく言葉だった。優しく、幼子をなだめるように。
「『ここ』を離れたら、結城ちゃんに行く場所なんてどこにもないくせにー」
「―――――っ」
 結城の両目に激しいまでの光が宿った。それは爆発する寸前の閃光に似ていたが、瞬きひとつでそれを消し去ってのけ、結城は銃を懐に突っ込みながら踵を返す。そのまま無言で事務所を突っ切り、流河が入ってきた方とは逆のドアに消えていった。
 それを黙って見送り、久賀は気のない様子でひとつ肩をすくめた。
「お前もあんまりあいつを突っつくなよ。いつか本当に殺されるぞ」
「いやぁ。これが快感でちょっとやめられないわけなんですよ。あいつ突つくのが面白くて」
「どうでもいいが、お前の歪みっぷりもかなりのもんだな?」
「あはは、わかります?」
 自然な色彩の茶髪をかき上げ、流河は喉の奥で低く笑い声を立てた。
「オレ結城のこと大好きっすから。パートナーになったのも面白いからで」
「……んじゃま、そのパートナーとしての手腕を見せてもらうとしようか」
 やれやれとばかりに溜息を吐き、無精ひげに覆われた顎を撫でると、久賀は結城の使っていたパソコンのマウスに手を伸ばした。そのまま簡単な操作を繰り返し、今までとは違う画面を表示させる。流河が興味津々の態でそれを覗き込んだ。
「今度はこれっすか?」
「ああ、後で結城といっしょに説明するがな」
 そこで一度言葉を切り、DCO『ディテクティブ・コントラクター・オフィス』の社長はうっすらと微笑んでみせた。
「仕事だ。行って来い」






    


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