01 そして舞台の幕は上がる





 緒方結城(おがたゆうき)と流河怜(りゅうがれい)が通されたのは、かなりの広さを持った風通しのよい和室だった。
 開け放たれた障子から風が吹き込み、懐かしい畳の匂いが鼻腔をくすぐっていく。それに誘われるように視線を流せば、壁際に生けられた花がそよそよと揺れ、夏の暑さの中にわずかな涼しさを演出しているように見えた。その上には高名な書道家の手による書がかかり、落ち着いた木目の壁にえもいわれぬ重厚さを添えている。
 上品に整えられた部屋だと言えるが、結城からすればやや『あざとい』気がしなくもない。慎み深さよりも華やかさが、質祖さよりも豪華さが前面に押し出され、訪れる客に「どうだ、すごいだろう」と主張しているように感じられるからだ。少しばかりうがち過ぎかもしれないが。
 さすが旧家の秋吉(あきよし)家、と胸中に呟き、結城はすすめられた座布団に腰を下ろした。流河も身軽な動作で隣に座り、目の前で正座した女性に向き直る。
「ようこそいらっしゃいました。ディテクティブ・コントラクターの社員の方……で、よろしいのかしら?」
「ええ。ディテクティブ・コントラクター・オフィスから派遣されて参りました。緒方結城と申します。こちらは流河怜」
「はじめまして。貴女がクライアントの秋吉恵(あきよしめぐ)さんですか?」
 淡々とした口調で答えた結城に続き、流河が人好きのする表情でにこりと笑った。
「あ、いえ。私は恵の叔母です。秋吉千津江(あきよしちづえ)、と」
 流河の問いかけに、二十代前半から三十過ぎと思しき女性はゆるく頭を振った。今風に結い上げた茶髪といい、下品に見えない程度に襟元のすっきりした服といい、薄くほどこされた化粧といい、よくも悪くも古めかしい旧家にはそぐわない雰囲気の持ち主である。応対するのは和服美人と決めつけていたのか、流河が相手に気づかれない程度に肩をすくめてみせた。まあいいか、というように。
 そんな流河の内心など知らぬ様子で、千津江は何かをためらうように視線をさまよわせた。まあ仕方がないだろうな、と結城は溜息を押し殺す。仕事用のスーツ姿を着込み、きっちりネクタイを締めているとはいえ、派遣されてきたDCがどう見ても二十歳前後の青年だったのだ。誰だって腕を疑いたくなるだろう。
 それは結城にも理解できるが、いつまでも依頼主にためらわれていては仕事にならない。ふっと短く息を吐き出し、結城は出来るだけ穏やかな表情で話を切り出した。
「クライアントの叔母さまですか? 失礼ですが、それではクライアントの秋吉恵さんはずいぶんとお若くていらっしゃる? ……お話によると、遺産がらみで命を狙われているとのことでしたが」
「………はい」
 びくっと体を震わせ、周囲にきょろきょろと視線をめぐらせたものの、千津江は意を決したようにひとつ頷いた。
「あとで恵のお部屋にもご案内いたします。………お願いしたいのは恵の身辺警護と、先日病死した兄の……この家の当主の死因の調査なんです」
「死因に不審な点があるとのことでしたね? 言いにくいことですが、他殺の疑いがあると」
「はい」
 細い体をさらに縮め、千津江はピンクに塗られた唇をきつく噛み締めた。純粋に兄の死を悲しみ、彼を殺した犯人を心から憎んでいるのだろう。その表情はひどく憐憫の情をさそったが、だからと言って安易な慰めを口にすることも出来ず、結城はわずかに居心地の悪い思いを持て余した。その横から流河がひょいと身を乗り出す。
「任せて下さい。少しでも疑いがあるなら徹底的に調べるのがオレたちの仕事です、絶対にお兄さんを殺害した犯人を見つけてみせますよ」
 事の重大さがわかっているのか、と問い詰めたくなるほど軽やかに言い切り、流河は片手で自分の胸を叩いてみせた。
「あ、それから、この部屋には盗聴器の類は仕掛けられていません。我々はプロですから、盗聴器の有無なら少しの時間があればわかりますし。さらに言うなら近くで聞き耳を立てている人もいませんので、もっと気を抜いてお話して下さい。もし誰かが聞いてても追いかけてって捕まえますから」
 へら、としか表現できない表情で明るく笑い、流河は千津江の顔をのぞきこむようにして首を傾げた。かなり砕けた物言いだったが、千津江は肩の力が抜けた様子で頬を緩める。
 流河は人の緊張をほぐすのがうまかった。馴れ馴れしい態度で相手の懐に踏み込み、人懐こい笑顔で警戒心を薄れさせ、どんな相手でもあっという間に心を開かせてしまう。まるで出来のようにマジックのように。
 形のよい眉をわずかにひそめ、結城は意識して隣の相棒から目をそらした。流河の人懐こさは天性のものでも、心根の善良さが反映されたものでもない。それを誰よりもよく知っているからこそ、結城は流河の笑みに警戒心を抱かずにはいられなかった。結城は流河に心を許していないのだから。
 顔をしかめている結城に気づいたのか、流河が視線だけを投げて寄こし、茶目っ気たっぷりに片目をつぶってみせた。途端に結城の眉が吊り上がる。仕事中にふざけるな、と唇の動きだけで吐き捨て、首を傾げている千津江に向き直ると、ひややかな美貌をわずかに緩めて微笑を作った。
「それじゃあ、他にも二、三お話を聞いてもよろしいですか? ああ、もちろん秘密は遵守いたしますので、その点はどうぞご心配なさらずに。私たちは貴女を……秋吉恵さんを全力でお守りしますから」
「………あ、はい」
 千津江の頬にさっと朱が差した。形の良い唇がふっと緩み、目元が優しく和んだ途端、結城の冷たい面差しは他人を魅了する優しい微笑みとなる。ホストクラブで多くの女性を悩殺し、時として男性さえも惹きつけた結城の『対人用最終兵器』である。
 流河はそれを見やって薄く笑ったが、口に出しては何も言わず、千津江がとつとつと語り始めた事情に意識を傾けた。少なくとも表面上は真面目な表情を取り繕い、痺れてきた足をそっと組み直す。
「すでにお話がいっていると思いますが、恵は兄の……前当主の娘です。年を取ってから生まれた子供なので、兄は目の中にいれても痛くないほど可愛がっていたんですが……」
「恵さんの母、つまり前当主の本妻にあたる方が、恵さんを出産してすぐに亡くなってしまわれたんですね」
「はい。兄はその二年後に後妻を迎えましたが、兄本人もつい先日他界してしまいました。……そこで遺産が問題になったんです」
「前当主が遺言を残され、全財産はすべて恵さんに譲ることになったと?」
「はい」
 千津江は膝の上で強く両手を握り締めた。
「もちろん、それを後妻であるあの人が面白く思うはずがありません。法律で定められた相続分では満足せずに、欲の深い親戚たちと一緒になてあんなに小さな恵を……」
「―――殺してしまおうとしてる、と」
 後を引き取って続けたのは流河だった。千津江がわずかに体を強張らせ、蚊の鳴くような声ではい、と答える。
「最初は単なる事故かと思ったんです。ですが、恵用に、と出された食事を食べた猫が体調を崩したり、そんなに古いわけでもない庭の倉庫が崩れてきたり、家の周囲を見知らぬ人が歩き回っていたりして………」
「警察には届けなかったのですか?」
「警察なんて当てになりません。兄が死んでしまった時も、本家からの圧力に屈してろくな捜査もせずに『病死』だと決めつけて、あの女をちゃんと調べることすらしてくれなかったんです。今回だってあの女の言いなりになって恵を守ってくれないに決まっています」
 吐き捨てるような口調で呟き、千津江は薄いピンクに彩られた唇をきつく噛んだ。
「……お願いします。恵を守ってやって下さい。私は恵がかわいいんです。私はまだ独身で子供がいませんが、恵は小さな頃から私に懐いてくれて、私もずっと、実の子のように思って可愛がって……っ」
 そこで声をつまらせ、ハンカチで目元を押さえると、千津江は二人に短く謝罪して立ち上がった。泣いている顔を見られたくないのか、ちょっと洗面所へ、という言葉を残して慌しく客間を出て行く。
 突然の事態に目を丸くしたが、ややあって疲労のこもった溜息を吐き、結城は隣で足を崩している相棒に冷たい目を向けた。
「………で、いつ盗聴器があるかなんて調べたんだ? おれたちが部屋に入っただけで盗聴器の有無がわかる、なんてすさまじく初耳なんだが?」
「だって適当に言ったんだもーん」
「……お前、おれの忍耐力を試してるんならそろそろ限界だっつーか問答無用で撃ち殺すぞいい加減にしろこのぬらりひょんが」
「あっ、ひどい!」
 一息で言い切った結城に対し、流河はお得意の『打ちひしがれた人妻ポーズ』で身をよじった。結城の表情がさらに険しいものになっていく。このまま庭に蹴り落として池に沈めてやろうか、とかなり真剣に考え始めたところで、それを察知した流河がガバリと上半身を起こした。
「………それにしてもさー」
 結城の不機嫌などどこ吹く風で、流河は座布団に座り直しながらにこりと笑った。怒りの矛先をかわされた結城が顔をしかめる。
「……なんだよ」
「よかったよなっ、依頼人が美人で!! 和服じゃなかったのはちょっとばかし残念だけど、まあ顔がいいから良しとする!」
「千津江さんはクライアントじゃないだろ。本当の依頼人は秋吉恵さんだ」
「だって千津江さんの姪だぜ? きっと美人さんに違いないっ」
「あーそうかよ。そりゃよかったな」
 結城が嫌そうな顔で目をそらし、流河がケタケタと酔っ払ったような笑い声を立てた。思い出したように縁側から風が吹き込み、綺麗に整えた黒髪と茶髪をそよがせていく。それを無意識の動作でかき上げ、きっちり締まったネクタイをわずかに緩めると、結城は夏らしくはっきりした色の空へ視線を向けた。
 面倒な仕事押しつけやがって、という憎々しげな呟きを漏らしながら。






    


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