02 クライアント


 


 ディテクティブ・コントラクターは、その名の通り『探偵請負人』である。
 普通の探偵が引き受けるような調査から、本来はボディ・ガードの仕事である依頼人の警護、重要品の護送、ターゲットの捕捉など、ありとあらゆる厄介ごとを幅広く請け負っている。建前上は法律の範囲内で動くことになっているが、許可も取っていないのに銃を携帯し、場合によっては容赦なく発砲するとあって、警察とは出会い頭に追いかけっこが展開されるほど仲が良かった。ありていに言ってしまえば『犬猿の仲』だ。
 それは別にいいんだ、と結城は内心で溜息を吐く。警察に睨まれようが、大学の講義をさぼり続けるはめになろうが、数えるのもばかばかしいほど命の危険にさらされようが、結城は本気でこの仕事をやめたいとは思わなかった。DCOの社長である久賀には『恩』があり、結城はそれを返すまで働き続けると誓ったのだから。
 だが、そんな結城にも我慢の限界は存在した。
「あなたたちがディテクティブ・コントラクターの人たち? ふーん、アイドルみたいにきれいな顔してるのねぇ」
 可愛らしい仕草で首を傾げ、鈴が鳴るような笑い声を立てた依頼主に、結城は畳の上に手をついてがっくりとうなだれた。横では流河が口を押さえ、必死な表情で笑い出すのを堪えている。
「ちょっと、なにうなだれてるの? アイドルみたい、って言ったのが気に入らなかったの? でもこれって褒め言葉なのよっ」
「…………あー、えぇと、うん。お嬢さん?」
「メグよ。秋吉恵。メグって呼んで」
「それじゃあメグちゃん」
 ふるふると震える拳を握り締め、何とか座布団の上に正座し直すと、結城は目の前で胸を張っている『クライアント』を見下ろした。名前を呼ばれたのが嬉しいのか、恵は大きな瞳を細めてにこにこと笑っている。
 無条件に気を許したくなるほど可愛らしい笑顔だった。やんわりと波打った黒髪も、零れ落ちそうに大きな瞳も、白のカーディガンに包まれた小さな体も、相手の庇護欲を掻き立ててやまない愛らしさに満ちている。はっきり言って文句なしの美少女だったが、結城にしろ流河にしろ、出来ることなら十年が経過した後に巡り会いたかった。それがクライアントとあってはなおさらだ。
 がんばれゆーきちゃんっ、という小声の応援を聞きながら、結城は引きつるこめかみを押さえて言葉を続けた。
「えぇと、メグちゃん? 君が今回の……おれたちの、依頼主ってことか?」
「そーよ。私があなたたちをディテクティブ・コントラクター・オフィスからやとった依頼人。依頼の内容はおばちゃんから聞いたでしょ?」
「……あー」
「ちゃんと私のこと守ってね! 前金はもう振り込んじゃったけど、私になにかあったら成功報酬ははらえないんだから」
 実にしっかりしたことを言い、小さな手を腰にそえてふんぞり返っているのは、どこからどう見ても十歳前後としか思えない少女だった。多く見積もっても十一、二歳といったところだろう。
 あんのクソ社長っ、と口の中だけで絶叫し、結城は恵の後ろに座った千津江へ問いかけの目を向けた。責められているのを感じ取ったのか、千津江は恵の肩に手を添えたまま視線をそらす。
「あの、恵がどうしても自分が依頼したい、と言ってまして」
「……ということは、メグちゃんはすべての事情を知っていると? ―――その、自分が義理の母に……」
「私、あの人に殺されそうなんでしょ」
 言い淀んだ結城をまっすぐに見上げ、恵は清々しいほどはっきりと言い切ってみせた。
「知ってるもの、そんなこと。……おばさんが『守ってくれる人を雇いましょう』っていうから、だったら私が自分で雇うって言ったのよ。まだそんなに自由になるお金はないけど、もうすぐお父さんの遺産が入るの。私みたいな小娘だってあなたたちに報酬くらい払えるんだから」
 結城はあっけに取られてその言葉を聞いていたが、ふと視線を転じた瞬間、恵の小さな唇が震えていることに気づいてしまった。行儀よく膝の上でそろえた手も、力が入って強張った肩も、内心の怯えを示すように小さく震えている。
 本当は怖くてたまらないのだろう。子供らしく癇癪を起こし、手当たり次第に物を投げつけ、遺産なんかいらないと叫びたくて仕方がないのだろう。そしてその恐怖をすべて押さえ込み、秋吉の娘としてふさわしい態度を取ろうとしているのだろう。
 結城は肺を空にする勢いで溜息を吐いた。横で流河もあーあ、とばかりに隣で肩をすくめる。それに気づいてしまった以上、契約を破棄して事務所に帰ることは出来なくなった。
 結城ちゃんはお優しいからねぇ、という小さな呟きを漏らし、流河は恵たちに気づかれないように肩をすくめてみせた。殺気だった目で隣を睨みつけ、楽しげに笑っている相棒を黙らせると、結城は必死に笑顔を保っている恵に真剣な視線を向ける。
「………えっと、メグちゃん?」
「メグ、でいいわ」
「じゃあ、メグ」
「なぁに?」
 大きな瞳が真剣な光を湛えて結城を見つめた。結城も『クライアント』を見る表情を作り、千津江にも言い聞かせるようにして言葉を続ける。
「依頼人が子供だった、っていうのは予想外だったが、一度受けた仕事だし、依頼の内容に問題があるわけでもない。当初の契約通り、おれたちは全力を持ってメグを守らせてもらう」
「………ほんと!?」
 メグの顔がぱっと輝き、千津江はあからさまに安堵した表情で息を吐いた。やっぱり自分は甘いな、と内心で苦笑し、結城は横で笑っている流河を肘でつつく。
「―――流河」
「へいへい。じゃあ次はオレから説明するね、メグちゃん」
 お前も仕事しろよ、という結城の要求を感じ取り、流河は人懐こい表情でにこりと笑った。
「あ、オレは流河。流河怜(りゅうがれい)っつーの。こっちは緒方結城(おがたゆうき)。どっちもアイドルみたいな名前っしょ?」
「ホントね。彼はジャニーズ系だけど、あなたはワイルド系って感じ?」
「あはは、言えてる言えてる!! ―――って怖いなぁ、ゆーきちゃん、睨まないでよー」
 大袈裟な動作で結城から距離を取り、流河はかしこまった様子で背筋を伸ばしてみせた。
「んじゃあ説明するけど。メグちゃんの護衛はオレたちが泊り込みでやるとして、同時進行でメグちゃんのお父さんについても調べなきゃならないわけね」
「……はい、よろしくお願いします」
 答えを返したのは千津江だった。それを茶色の目で軽く見やり、流河は唇の端を持ち上げてうっすらと微笑する。
「千津江さんも色々と協力してもらいたいんですが、大丈夫ですか? 資料を見せてもらったり、この家の人たちに話を聞いたりする必要が出てくるので」
「あ、それは大丈夫だと思います。出来る限りのことはさせていただきますので」
「それは助かります。それに少しだけ気になるんですよね。もしも本当に……」
 そこでふいに言葉を切り、流河は何気ない仕草で背後のふすまを見返った。結城も唇の前に指を立て、恵と千津江に黙るよう促す。
 二人は不思議そうな表情で首を傾げたが、すぐに廊下から聞こえてくる律動的な足音に気づき、はっと体を強張らせて座布団の上に座り直した。
「―――恵さん?」
 一拍置いてから響いたのは、落ち着いた気品と艶を持つ女性の声だった。
「恵さん? お部屋にいるんでしょう? お話中にごめんなさいね」
「……いえ」
 恵の声がほんのわずかに強張った。それに気づいているのかいないのか、女性の声はあくまで上品にころころと笑っている。
「ね、恵さん。今日はお客さまがいらっしゃってるんでしょう? せっかくですもの、お義母さまにもご挨拶をさせてちょうだいな」
「…………」
「恵さん? ねぇ、開けてもいいかしら?」
「………どうぞ。お義母(かあ)さん」
 恵がゆっくりと返事するのを待って、ふすまがするすると十センチばかり開いた。そこに白い手が添えられ、完璧な作法でさらに三分の一ほど押し開く。
 ふすまの向こうできちんと正座し、小首を傾げるようにして微笑んでいるのは、品の良い藍色の和服を着こなした若い女性だった。年の頃は二十五、六歳といったところだろう。流河が小さく口笛を吹き、結城が器用な仕草で片方の眉を吊り上げた。
 恵が「お義母さん」と呼んでいる以上、この女性が問題の『後妻』であるのは間違いないが、前当主の年齢を考えると首をひねらずにはいられなかった。確か彼は享年四十六歳だったはず、と胸中に呟き、結城は目を輝かせている流河に肘鉄を送り込む。
 早業すぎてそれに気づかなかったのか、礼儀として黙殺しているだけなのか、女性は慎ましやかな微笑を崩さなかった。膝行(しっこう)して敷居を越え、やはり完璧な礼儀作法でふすめを閉める。恵と千津江の表情が目に見えて硬くなった。
 それを見やって淡く微笑し、女性は結城と流河に眼差しを向けながら婀娜っぽく目を細めた。
「千津江さん、恵さん、こちらの方々は?」
「……あ」
 慌てて答えようとした千津江を目線で制し、結城は半ば以上意図的に口元を綻ばせた。
「初めまして、お邪魔しております。『僕』は緒方結城。こちらは流河怜です。ご主人には以前からお世話になっておりました。……まずはお悔やみを申し上げます」
「ま、ご丁寧に」
 結城の美貌が気に入ったのか、女性は明らかに艶を含んだ表情で頬を染めた。結城は内心で嘆息する。『使える者は何でも使う』がDCの鉄則とはいえ、自分の外見を利用し、女性相手に笑顔を振りまくのはあまり気分のいいやり方ではなかった。
 これは仕事なんだ、と呪文のように繰り返し、引っ込みそうになる笑顔を何とか保つと、結城はひどく申し訳なさそうな表情で首を傾げてみせた。
「本来なら事前にご連絡を差し上げるべきだったのでしょうが、ご主人の訃報を聞いていても立ってもいられず、こうして駆けつけてきてしまいました。突然押しかけてしまって申し訳ありません」
「……佳代(かよ)さん。こちらの方々はわざわざ新潟の方からいらして下さったのよ。今日はこちらの方に泊めてさしあげたいんだけど、構わないでしょう?」
 横から千津江が口をはさんだ。嫌な顔をするかと思ったが、佳代と呼ばれた女性は意外なほど社交的に笑い、結城と流河に向かって何度も頷いてみせる。
「もちろん構いませんよ。お部屋は余ってますもの、どうぞ滞在していって下さいな。後で主人との関係も聞かせて下さいませね」
「ええ、もちろんです。……本当にすみません。宿を取っている暇がなくて」
「いいえ。こちらこそ、主人のためにわざわざありがとうございます」
 完璧な作法で頭を下げ、佳代は衣擦れの音を立てながら畳の上に立ち上がった。
「それじゃあ千津江さん。お客さまたちをお部屋の方に案内してさしあげてね」
「ええ」
「恵さんも粗相のないように気をつけるんですよ?」
「……はい、お義母さん」
「それではまた後ほど」
 二人に柔らかく微笑みかけ、佳代は藍色の袖を揺らしながら踵を返した。白い手でするするとふすまを開き、もう一度頭を下げてから廊下へと出て行く。
 しばらく無言でふすまを見つめていたが、優雅な足音が完全に聞こえなくなると、流河はいつもの調子を取り戻して含みのある笑みを浮かべた。
「―――きれーな人じゃん。オレ好みかもー」
「黙れボケ。誰もお前の好みなんて聞いてないだろうが」
 流河の軽口に鋭い一瞥をくれつつ、結城はすっかり縮こまってしまっている恵に視線を向けた。少女の千津江も硬い表情で押し黙り、閉ざされたふすまを睨みつけるようにして見つめている。
 嫌な予感が胸中に湧き上がるのを感じ、結城は相手に気づかれないようにそっと嘆息した。どんな家だよ、という呟きを口の中に押し留め、隣に座っている流河を横目で見やる。同じような感想を抱いたのか、ひどく気軽な動作で肩をすくめてみせた相棒に、結城は疲労が倍加した風情で天井を仰いだ。






    


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