03 喪失の拒否

 


 風通しがよく作られているためか、和風の庭園の中は洋風の庭と比べていくぶん涼しい。
 たわむれるように飛び石を踏み、声高に絶叫している蝉たちに眉をひそめると、結城は首元のネクタイを思いきり緩めた。長い睫毛をゆっくりと伏せ、吹き抜けていく涼風を探すように息を詰める。そのすぐ傍で玉砂利が鳴った。
「いやぁ、蝉がうるさいね。もはやここまで来ると断末魔って感じ?」
「蝉よりお前のがうるさいけどな」
「うっわぁひどい、そういうこと言う? オレ泣いちゃうよー?」
「泣け、喚け、ついでに死ね」
 眉を吊り上げてきっぱりと言い捨て、結城は子供っぽい動作で足元の飛び石を蹴った。ふたつ先の飛び石に軽く着地し、虫を追い払うようにバタバタと片手を振る。
 あからさまな拒絶にもめげず、流河はゆーきちゃん冷たいっ、と身をよじりながら相棒を追いかけた。真夏の強い日差しが降り注ぎ、流河の茶髪を淡い金色に透かしている。その色彩から大きく目をそむけ、結城はわずかな風をたどるようにして顔をめぐらせた。
 綺麗に整えられた庭園の中、カコーンという添水(そうず)の音が心地よく響く。反転した竹筒が石に当たり、また水を受けるためにもとの位置へ戻っていく。ぼんやりとした表情でそれを見つめ、眩しげな仕草で目を細めると、結城は近くで笑っている流河に視線を戻した。
「……つーか本当、広い屋敷だな」
「ホントホント。これでも『本家』じゃないっていうんだから、ちょっと貧乏人には想像もつかない世界だよねぇ」
「まったくだ。この家の遺産なら相当なもんなんだろうな」
 結城は呆れたように息を吐き出した。DCはかなり実入りのいい仕事だが、結城と流河が現役の大学生である以上、毎日のように依頼を受けているわけにもいかない。加えて社長が浪費家であり、結城たちの『血と汗と涙の結晶』を容赦なく食いつぶしてくれるため、彼らの懐はお世辞にも温かいとは言えなかった。
「旧家っていうのはドロドロしてるイメージがあったけど、本当にそんなもんなんだな。これじゃあ本家なんて泥沼なんじゃないか?」
「そーかもねぇ。もはやサスペンス劇場のノリなんじゃない? まあこの状況も似たようなもんだけど」
 流河が偉そうな顔でうんうんと頷く。それを胡散臭げな目で一瞥し、結城は添水の動きを見るともなしに見つめた。
 この家の遺産は莫大なものだが、これでも本家に近しい分家のひとつに過ぎないのだという。分家はさらに細かく枝分かれし、そのひとつひとつが複雑な事情を抱え、まるで蜘蛛の糸のように日本全国へと広がっているのだろう。それ以上は想像する気にもなれず、結城は黒髪を揺らして軽く首を振った。
 蝉が声高に合唱する中、庭全体を焦がすようにして夏の日差しが降り注いでくる。ふっと細く息を吐き出し、視線を添水から相棒へと戻した、まさにその瞬間のことだった。
「――――DCの緒方結城、流河怜だな」
 ゴツ、という鈍い音を立てて背中に何かが当たり、結城の耳元で低い男の声が響いたのは。
「動くな。そのままでこちらの話を聞け。……緒方結城と流河怜だな?」
 結城の双眸が鋭く細められた。振り返って背中を見ることは出来ないが、流河の背後に回ったもう一人の男に目をやり、自分に突きつけられているのも十中八九拳銃だろうと推測する。友好的な手合いでないことだけは確かだった。
「確かにそうだが、何の用だ?」 
「答える必要はない。いいか、これは単なる警告だ。なにもここでぶっ放すほど常識知らずじゃないし、『裏』の礼儀をわきまえていないわけでもない」
「ああそうかよ、で?」
「……お前たちはこの仕事から手を引け。一度目は警告ですますが、二度目からは容赦しない。下手をすれば永遠に仕事できない身になってもらうことになる」
「断る」
 結城の答えは簡潔だった。この状況で即答されるとは思ってもみなかったのか、結城に銃を突きつけた男が驚いたように銃口を揺らす。その瞬間、結城は思い切り身を沈めて地面に手をつき、惚れ惚れするほど素早い動きで男に足払いをかけた。
 相手は体勢を崩したが、そのまま無様に転倒したりはせず、右肩から受け身を取ってあっという間に跳ね起きてみせた。すぐ横では流河が身を翻し、相手が驚愕した隙をついて膝蹴りを叩き込んでいる。
「―――ゆーきちゃん、これって同業者?」
「おれに聞くな、こいつらに聞け!」
 流河の一撃もしっかりと決まらなかったらしく、大柄な男はバックステップして二人から距離を取った。結城と流河を挟むように立ち、二人の男は拳銃を構えたまま腰を屈める。
 警告だ、という言葉に嘘はなかったのだろう。次に取るべき行動を決めかね、男たちはほんの一瞬だけ迷うような表情を閃かせた。その隙を見逃さず、結城と流河はぴたりと息のあった動作で地面を蹴り、それぞれ目の前にいる男の懐に飛び込んでのけた。
 結城も流河も少し前に成人したばかりだが、幼い頃から血反吐を吐き、内臓がずたずたになるような思いをして体術を磨いてきたのだ。相手が自分よりずっと年上であろうと、拳銃を持っていようと、人数が一対一なら決して遅れを取ったりはしない。慌てたように向けられた銃口を蹴り上げ、その勢いを殺さずに一歩踏み込むと、結城はがら空きになった相手の胴へ容赦なく肘を埋めた。
 よろめいた相手に追いすがり、相手の手から拳銃をもぎ取ろうとするが、男の方も結城の想像以上に機敏な動きの持ち主だった。逆に結城の肩へつかみかかり、体格差をいかして地面に組み伏せようとする。
 結城に両目に鋭い光が宿った。
「――――触るな」
 聞き取れないほど低く呟き、体を沈めながら太い男の腕を取る。一秒後には男の体が宙を舞っていた。
「わぁお、ゆーきちゃんお得意の一本背負い!」
 さっすがー、とふざけた表情で手を叩きつつ、流河は左足を軸にして体をひねり、渾身の力を込めて男の腹部を蹴り飛ばした。ぐっ、というくぐもった声を漏らして男が後ろ向きに倒れこむ。
 相棒があっさりと勝利したのを見やり、嫌そうな表情で汗まみれになったシャツをはたくと、結城は地面に伸びた男にひややかな眼差しを向けた。
「同業者だな? 誰に雇われたか知らないが、俺たちも仕事なんだ。詳しく話を聞く必要がありそうだな」
「………」
 男は悔しげな表情で唇を噛んだ。動きが止まった状態で観察すると、男たちが両方とも鍛え上げられた体躯の持ち主だということがわかる。年齢は二十代後半から三十代前半といったところだろう。『裏』社会の人間らしい強面の男たちだったが、今、この場の支配圏を握っているのは間違いなく結城たちの方だった。
 ジャリ、という玉砂利を踏みしめる音が響くまでは。
「―――結城くん、流河くん、やっと見つけた!」
 突如として響いた高い声を受け、結城は弾かれたように庭園の向こうへと視線を向けた。姿の見えないDCたちを探していたのか、クライアントの少女が大きな瞳を輝かせ、飛び石を踏みながらこちらに向かって走り寄ってくる。結城は大きく瞳を見開いた。
「メグッ、馬鹿……!」
 来るなっ、という結城の声が響いたのと、男がすさまじい勢いで転がっていた銃に飛びついたのと、その銃口をまっすぐに恵へ向けたのは、わずかな差こそあれほとんど同時だった。結城が舌打ちしながら身を翻し、立ちすくんだ少女を抱きかかえるようにして地面に転がる。銃声にしては小さな音が響き渡り、結城の二の腕を弾が浅く掠めた。
「つっ……」
 結城はかすかに眉を寄せた。弾が命中したわけではないが、完全に避けることは出来なかったらしく、白いシャツにじんわりと赤い染みが滲む。
「こんなところで発砲するか、普通……っ」
 怪我をした方の手で恵を抱え、もう一方の手で傷口をきつく押さえると、結城は拳銃を構えた男に厳しい視線を投げた。その瞳がはっと見開かれる。
「……流河っ、やめろ!!」
 結城の制止はわずかに遅かった。いや、間に合ったところで止められはしなかっただろう。
 流河が何の躊躇も見られない動作で男を蹴りつけ、その手から力任せに拳銃を奪い、相手の腕に向かって引き金を引くのを。
 消音器(サイレンサー)がつけられているのか、やはり銃声にしては小さな音が響き、それに被さるようにして男の絶叫が空気をかきむしった。それを聞いても眉ひとつ動かさず、流河がもう一方の腕を狙って引き金を引く。男の体がびくりと跳ね、打ち抜かれた部分から真っ赤な鮮血が噴き上がった。
 恵の喉がひっ、という引きつった音を立てた。それはもう一人の男の同様で、仲間を助けることも、その隙に一人で逃走するこも出来ず、純粋な恐怖を顔に貼りつけてその場に座り込んでいる。
 男の悲鳴を無表情のまま黙殺し、流河は銃口の腹部へと向けた。男の顔が哀れなほどに歪む。
「……うぁ、や、やめてく……っ」
「うるせぇよ」
 唇の端を持ち上げ、ひどく冷酷な微笑を作ってみせると、流河は力なく投げ出された男の腕を踏みつけた。耳障りな悲鳴にうすく笑い、激痛に折り曲げられた腹部を爪先で蹴り上げる。
「うるせぇんだよ、あんた。悲鳴あげるくらいなら初めから手ぇ出してくんじゃねぇよ」
 どこか淡々とした口調で呟き、流河はすでに抵抗出来なくなっている男を容赦なく蹴り続けた。何度も何度も、それしか知らない幼子のように。
「なあ、ふざけんなよ。悲鳴あげれば許されるとでも思ってるのか?」
 くす、と喉の奥で低く笑い、流河は銃口を突きつけたまま大きく足を引いた。その表情には暴行へのためらいも、相棒を傷つけられたことによる怒りも、力をふるうことに対する喜悦も宿っていない。あるのは狂喜にも似た笑みだけだった。
「冗談じゃねぇんだよ、あんたみたいなのがいるから……」
 その笑みが奇妙な形に歪んだ。
「あんなみたいなのが、いるから……」
 ガッ、という一際大きな音を立て、流河の足が相手の腹へと叩き込まれた。そこでふいに彼の動きが止まり、茶色の瞳が小さく見張られる。
 強い風が吹きぬけ、その中に艶やかな黒い髪が舞った。
「………やめろ、って、言ってんだろうが」
 切れ切れに響いたのは男の悲鳴ではなかった。いつの間に割り込んできたのか、流河に蹴られた腹部を押さえ、結城が男を庇うようにして相棒を睨みつけている。漆黒の瞳は痛いほど清冽な光を湛えて輝いていた。
「お前、その突然キレるクセいい加減やめろ。殺す気か?」
「………結城?」
「とぼけた顔するな。いいから銃下ろせ。やりすぎだ」
「………あれ?」
 パチパチ、と何度か瞳を瞬かせ、流河はひどく緩慢な動きで首を傾げた。
「あれ、なんだ。……結城、生きてるのか?」
「あ? ふざけんな、どっちかっていうとお前に殺されかけたんだよ」
 骨に皹入ってなきゃいいけど、と愚痴めいた声を漏らす結城に、流河は夢から覚めたような表情で瞳を見開いてみせた。その手からするりと銃が落ち、飛び石にぶつかって奇妙に乾いた音を立てる。
 流河の表情がへらっと崩れた。
「……あー、なんだ、そっかぁ。うわぁびっくりしたー」
「なにがそっか、だ。内臓と骨がいかれたらどうしてくれる」
「あはは、ごもっとも。いやぁ、でもよかった。死んでなくて」
「―――ホント、お前ってつくづく意味のわからないやつだな?」
「ご心配なく。オレも自分でよくわかってないからさ」
「威張れることか」
 結城は平然とした顔で言い返したが、さすがに流河の本気の蹴りは効いたらしく、薄い腹を押さえて低く呻き声を漏らした。
「つ……っていうかお前な、蹴る前に相手くらい確かめろよ」
「いやだって、まさかゆーきちゃんが飛び出してくるなんて思わなかったんだもん。不可抗力っしょ?」
「なにが不可抗力だ。帰ったらきちんと慰謝料請求するから覚悟しとけよ」
「あ、ひどいっ、これは不幸な事故なのに…………って、あ」
 流河が茶色の瞳を丸くした。あれあれ、という声に結城が視線を向けると、無事だった方の男が仲間を担ぎ上げ、文字通り風のような動作で庭園の奥へ消えていこうとしていた。恐らくそこに抜け道があるのだろう。
「どうするゆーきちゃん。追う?」
「……いや、仕方ないだろ。この場合」
 男たちが恵に向かって発砲した以上、当初の予定通り相手を捕まえ、必要な情報を引き出してから尻を蹴って追い返す、という手段は取れなくなった。警察に突き出さなければならないが、その場合、大立ち回りを演じた結城と流河も事情聴取を受けることになるだろう。それは非常に都合が悪かった。
「相手が自分から逃げていってくれるんだ。心配しなくてももう来ないだろ」
 ひどく億劫そうに前髪をかき上げ、ふっと小さく溜息を吐くと、結城は背後で立ちすくんでいる恵に漆黒の瞳を向けた。繊細な美貌がふわりと笑う。
「ごめんな。怖かったろ?」
 その微笑は消えていってしまいそうなほどに淡く、儚げに映るものだった。






    


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