09 子羊たちに幸いあれ


 


 心地よい振動が全身に伝わり、疲労した意識を眠りの底へさらっていこうとする。
 ふっと小さく息を吐き、助手席の背もたれに頬をすり寄せると、結城は運転席の相棒を無視してさっさと眠りの体勢に入った。仕事が終わったという安堵感が眠気を助長させているのか、結城の意識は今にも途切れてしまいそうなほどに重い。
「………ということで、おれは寝る。ついたら起こせよ」
「っていうか、それってひどくないゆーきちゃん? ここは人としてパーキングで交代するべきだとオレは思うんですけど、その辺はいかがお考えで?」
「うるさいな、おれは寝不足なんだよ」
「ひ、ひどい! オレだって運転しながら眠気と戦ってるのに!」
 ハンドルから片手を離し、流河は非常にわざとらしい動作で目頭を押さえた。途端に前見ろ馬鹿っ、という結城の叱責が飛ぶ。
 二人が乗っているのは仕事用の乗用車だった。仕事上、自由に使える足がないと様々な不都合が生じるため、結城と流河は十八になる一月前に免許を取得している。それから毎日のように運転しているせいか、場合によってはカーチェイスまがいの追いかけっこも辞さないせいか、二人の運転技術は熟練のドライバーと比べても何ら遜色のないものだった。
 自然な手つきでハンドルを握り、混雑とは程遠い高速道路を快走しながら、流河はすでにうとうとしている相棒へ茶色の瞳を向けた。
「ゆーきちゃん、寝ないでってばー。交代してくれないならせめて話相手になってよ。せっかく仕事終わったのに、誉れ高きDCが居眠り運転で他の車に突っ込んだりしたら大変でしょ」
「だからうるさい。そうならないように死ぬ気で運転しろ」
「あれ? なになに、ゆーきちゃんオレの運転信用してくれるんだ?」
 どこか悪戯めいた流河に口調に、結城は閉ざしていた瞼をうすく持ち上げてみせた。視線だけは頑なに流河を見ないまま、形の良い唇が淡々とした言葉を作る。
「お前は、おれを殺せないんだろ」
「…………」
「玩具を手放せるほど、お前はまだ大人じゃないだろ。……だから、いい」
 それは何の感慨もふくまれていない言葉だった。再びそっけなく瞳を閉ざし、流河から大きく顔をそむけると、結城はそれ以上の言葉を拒むように背を丸めてしまう。
 どことなく幼い仕草を横目で見やり、流河はひどくあっさりとした口調で話題を変えてみせた。このまま寝かせるつもりはない、というように。
「でもさー、今回の仕事。ゆーきちゃんってばかなり張り切ってたよね」
「…………」
「なに? 相手が可愛い女の子だったから張り切っちゃった?」
 けらけらと明るく笑い、流河は顔をそむけたままの結城に楽しげな視線を投げた。結城からの返事はなかったが、それを気にした様子もなく言葉を続ける。
「それとも相手がまだ子供で、義理とはいえ自分のお母さんに狙われてる、ってのが我慢ならなかった? ―――自分と重ね合わせたから、ゆーきちゃんはあんなに怒ったのかな?」
 結城は何も答えなかった。ただほんのわずかに肩を揺らし、ひどくゆっくりとした動作で流河に顔を向ける。
 漆黒の瞳は痛いほどまっすぐに輝いていた。
「……だったらどうした?」
「いや、別にー」
「何が言いたいのかは知らないが、くだらないことを言ってないで運転に集中しろ」
「うわぁ、くだらないとか言われちゃった、オレってばかわいそー」
 いつもと変わらない調子で呟きつつ、流河はゆるやかにハンドルを切ってカーブを曲がった。
「でもオレ、意外と今回の仕事は楽しかったんだよね。まだちょっと小さかったけど、クライアントはとびっきりの美少女だったし。何だかんだ言って最後は円満に終わったしね。迷える子羊の救出完了、って感じ?」
「―――円満か?」
「円満円満。あの子しっかりしてるからね、千津江さんの後見なんかなくても立派な当主になるんじゃない? 別れる時もしゃんとしてたし」
「まあな。メグは思ってたよりもずっと強い子だった。……多分、これから何があっても大丈夫だろ」
「ゆーきちゃんは心配性だよねー。何気に今までのクライアント全部気にかけてるっしょ?」
 真似できないわー、とかすかな揶揄のこもった口調で続け、流河は再びゆるやかなカーブを曲がった。山道を越えるように作られた道路のため、高速にしては通常と比べてカーブが多い。
 座席から伝わっている振動に目を細め、結城は雲ひとつない夏の青空を視線でなぞった。目に痛いほどの青が高く広がり、下方を山の稜線に切り取られ、まだ昼と呼ぶには早い時間帯をまばゆい光で彩っている。先ほど別れてきた少女の笑顔のように。
「………別に、全部を気にかけてるわけじゃない。ただ多少なりともその人の人生に関わったんだ、その後が平穏であった方がいい、と思うのは人として当然のことだろ」
「当然、ね」
「ああ、当然だ」
 はっきりとした口調で言い切ってみせ、結城はもういいだろ、とばかりに固く両目を閉ざした。
 今まで多くのクライアントに関わってきたが、当然そのすべてが円満に解決したわけではない。結果的にその心を傷つけてしまう場合や、依頼を果たす代わりに何かを失わせてしまう場合、あるいは仕事の過程でクライアント自身に力を振るってもらう場合もあった。それでも結城は願わずにはいられない。
 彼らの行く手に幸いがあるように、と。
「―――おやすみ、ゆーきちゃん」
 よい夢を、という流河の声が不思議と優しく聞こえ、結城は夢うつつの中でほんのわずかに首を傾げた。だがそれもすぐに形を失い、温かな夢の中に溶けていってしまう。
 ただ真夏の光だけが降り注ぎ、広い高速道路を明るく照らし出していた。
 傷ついた子羊たちを優しく包み、その前途を祝福するようにして。






  


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