07 最後の演目


 


 舞台の幕切れはひどくあっけなくやって来た。
「…………何をなさっているんです?」
 意図的に穏やかな声を作り、ゆっくりした動作で後ろ手にふすまを閉めると、結城は和服姿の女性に向かって一歩足を踏み出した。細い肩がびくりと震え、結い上げ損ねた後れ毛がうなじで跳ねる。それは明らかな狼狽の反応だったが、ほんの一瞬で見事なまでの平静さを取り戻し、佳代は嫣然と微笑みながら背後の結城を振り返った。
「――――緒方さん。あら? 今日は、メグさんと一緒に主人のお墓に行くと」
「ええ、そのつもりだったんですが、ねずみが食料を食い荒らしてしまうかも、と急に心配になりまして」
「まあひどい、ねずみだなんて。うちはそんなに不潔ではありませんわよ?」
「そうですね。確かに『ねずみ』は出なかったようです」
 代わりに人間が餌にかかったようですが、という揶揄のこもったささやきを漏らし、結城は冷たい美貌をゆるめて淡く笑った。
「それで、お探しのものは見つかりましたか?」
「……ええ。本当に私ったら粗忽もので。お客さまにお貸しした客間に大切な物を置き忘れるなんて…………もういい年ですのに、そそっかしい女だとお思いでしょうね?」
 ふてぶてしいほど平然としている佳代を見やり、結城は凉しげな双眸をわずかに鋭くした。留守中に客人の部屋へ入り込み、置いてある荷物やメモをあさっていた人物が、その現場を押さえられたにも関わらず「忘れ物を探しに来た」と言って穏やかに笑っているのだ。よほど肝が据わっていなければ出来ない芸当だろう。
「本当ならちゃんとお断りしてから部屋に入るべきだったのでしょうけど、今日は緒方さんも流河さんもお出かけなさっていたでしょう? 連絡をしようにも携帯の番号なんて知るはずもないし……ですから、お二人が帰って来る前に探し物だけ見つけてしまおう、と思いまして。本当にごめんなさいね。……ああでも、お二人の荷物には触っていませんから」
 まるで年端もいかない少女のように笑い、頬に手を添えて小首を傾げると、佳代は潔白を証明するように背後の机を振り返った。机の上はきちんと片づけられ、障子窓から差し込む日を受けてつやつやと輝いている。机の横に置かれた荷物にも、上に揃えられたメモにも、閉められた引き出しにも何ら変わりはなかったが、結城は淡く笑ったまま佳代との距離を一歩つめた。黒の瞳が冴えた光を増していく。
「―――それで、その探し物は見つかったんですか?」
「おかげさまで。子供っぽいと笑われるかもしれませんが、これ。……主人がくれた指輪ですのよ。もう、失くしてしまったかと思うと気が気じゃなくて」
 見つかったよかったわ、と呟きながら手を差し出し、佳代は薬指にはまっている銀色の指輪を指し示してみせた。結城はわざとらしく感心した笑顔を作る。
 とっさの言い訳にしては堂に入っているが、そんな演技でごまかされるほどプロは優しくない。
「それはよかった。僕たちの方も気づけばよかったですね、すみません」
「いいえ、そんな。うっかり忘れていってしまったのは私の方ですから」
「いえ、誰にだってそういう時はありますから。それで、その袖の中に入っているメモと名刺はいつ返していただけるんですか?」
 それはあまりにも鮮やかな話題の転換だった。佳代が大きく目を見開き、「袖の中?」と不思議そうな表情で呟く。
「これで狼狽しないのはさすがですね。失礼ですが、貴女には演技の才能がおありのようだ」
「ま、それは誉められたと思ってよろしいのかしら? ……でも残念ね。貴方の仰ってることはよくわかりませんの」
「それは変ですね。僕はただ、貴女が袖の中に隠した僕たちの名刺と、机の上に置いておいたメモを返してほしい、と言っているだけですよ? それがわからないと仰る?」
「なにを仰っているのかわかりませんわ」
 あくまでも上品にころころと笑い、佳代はゆっくりした足取りで結城に歩み寄った。すれ違い様に艶めいた視線を投げかけ、赤く彩られた唇を歪めて甘い声を出す。
「……もっとお話していたいんですけど、私はもう行かなくてはなりませんから。勝手にお部屋に入ってしまって本当にごめんなさいね」
「行くってどこへです? 警察ですか?」
「……緒方さん。私、あまりそういう冗談は好きじゃありませんの」
 警察、という強すぎる揶揄が効いたのか、初めて佳代の表情から微笑が剥がれ落ちた。結城の美貌を軽く睨み、どこか傲慢に顎を上げて一気にふすまを開け放つ。
 その眼前にたくましい男の腕が伸びた。
「―――はーい、ストップッ!」
 軽く伸ばした腕をふすまの縁にかけ、その手によって佳代の進路を阻んでみせると、流河は機嫌のいい猫のような表情で小さく笑った。結城が形のいい眉をきつくひそめる。
「……遅いんだよ今までどこほっつき歩いてたんだ暴走しっぱなしの役立たずがいっぺん死ね、いっそ死んでしまえ」
「あぁっ、なにもほぼノンブレスでオレのことを罵らなくてもいいじゃない! オレの繊細な心はブロークンハートッ!! せっかくメグちゃんの部屋の回りの安全確認して、しっかりばっちり護衛した挙句従者よろしく送ってきたのに!!」
「まあ当然だよな」
「いやん、ひどいわゆーきちゃんっ!」
 いつも通りと言えばいつも通りなやり取りだったが、間に挟まれた佳代としてはたまったものではない。表情を驚きから怒り、狼狽、恐怖、そしていつも浮かべている作り物の笑みへと変化させ、赤い唇を挑発的に吊り上げると、佳代は目の前に立つ青年に柔らかな眼差しを向けた。
「流河さん。貴方も緒方さんと一緒になって妙なことを仰るの?」
「いやぁ、美人さんにじっと見つめられると弱いんすけどね。残念ながらもうネタは上がっちゃってるんですよ」
 すみません、と言いながら強引に部屋へ上がりこみ、流河は佳代に見せつけるようにしてぴしゃりとふすまを閉めた。それを見やって結城が口を開く。なんのためらいも前置きもない口調で。
「秋吉佳代さん。チンピラまがいの『請負人』を雇い、一昨日の昼におれたちを襲わせたのは貴女ですね?」
「―――ねぇ、緒方さん? さっきから言っていますけど、仰ってる意味が……」
「貴女が」
 結城の表情はいっさいの容赦がなかった。一人称を『僕』から『おれ』に改めた相棒に、流河は知ーらない、言わんばかりの仕草で肩をすくめる。結城が被っていた猫を脱ぎ捨てた以上、ここから展開されるのは問いかけではなく詰問、会話ではなく弾劾、追求ではなく容赦のない断罪だ。その苛烈さこそがDCOの看板たる所以なのだから。
「貴女がメグの命を狙い、大人気なくやってきた多くの工作について、おれたちが何の裏も取れないまま日々を過ごしているとでも思ったんですか? 食事に致死量に満たない毒を仕込むのも、脆くなっている蔵の修繕をわざと遅らせるのも、メグが事故にあうように仕向けるのも、とてもではありませんが貴女一人の手にはあまりますからね。家の者を使ったにせよ、別のところから雇ったにせよ、探し出して裏を取るのは思ったより簡単でしたよ」
「…………」
「この家はだいぶ閉鎖的ですし、貴女はほぼ完全に秋吉家の実権を握っている。多少無茶しても大丈夫だと思ったんでしょうが、やりすぎましたね。おれたちの目から見て、貴女のやり方はあまりにも杜撰すぎます。この数日でこんなにも簡単に裏が取れてしまうほどに」
 恵を守りながら家の者に手を回し、あらゆる手を使って口を割らせるのは確かに面倒だったが、長期間の潜入捜査やスパイの真似事、街を回っての聞き込みに慣れている二人にとって、『家』の中で完結している仕事は楽以外の何ものでもなかった。外から雇ったクチは『何でも屋』に情報を回してもらえばすむ。腕のいい『情報屋』や『何でも屋』と渡りをつけ、信用に値する情報を買い取るのは裏社会の常識なのだから。
 淡々とした結城の言葉を受け、佳代の表情からじわじわと余裕の色が抜け始めた。ふすまにだらしなくもたれかかり、流河がその背後から楽しげに口を出す。
「ゆーきちゃんが言ってたんですけど、ご主人の死因は本当に病気だったんですね。貴女が殺したんじゃないか、っていう線で調べてみたんですけど、いくらなんでも警察がこうもあっさり見逃すはずもないし、推理ドラマじゃないんだから『アリバイ工作』だの『密室トリック』だのがあるわけないし。多分、本当に心臓病の発作が起こってポックリいっちゃったんじゃないですか? ……貴女がそれを喜ばなかったかどうかは知りませんけど」
「ご主人が亡くなって、貴女のもとには莫大な遺産が入るはずだった。法定相続分は配偶者が二分の一と定められていますからね。ところがいざ遺言を開いてみれば、ご主人の残された遺産はたった一人の娘であるメグにすべて譲られることになっていた。貴女がメグを憎むのはしごく当然な流れですよね」 
 結城の双眸が冷え冷えとした光を宿した。
「言っておきますが、ここまで来て言い逃れをしよう、なんて考えないで下さいね。言い訳ならおれたちにではなく、警察に向かって思う存分して下さい。おれたちが揃えたのは証言と状況証拠のみですが、警察が隅から隅まで調べれな物的証拠くらいすぐに出てくるでしょう。……それに、貴女が袖に隠し持っているおれの残したメモと名刺。それも状況証拠としては十分です。自分の雇った『請負人』があっさりと撃退されて、ただのモグリだと思っていたおれたちの正体が気になり出したんでしょうが」
 罠をしかけておいて正解でしたよ、と冷たく呟き、結城はどんどん表情が変わっていく佳代に視線を向けた。そこでふっと片方の眉を上げる。
 佳代の浮かべていた表情が、罪を暴かれてしまったことへの不安でも、逃げ出す術のない現状への狼狽でも、罪人として捕らえられるこことへの恐怖でもなく、「当てが外れた」と言わんばかりの不満げなそれだったからだ。
「………やぁね」
 佳代の口調ががらりと変わり、針のように鋭い視線が二人へと投げかけられた。
「あぁもう、本当にやぁね。どうしてこうなっちゃうのかしら。あの女が変な人間雇うから」
「……反省する気はなさそうですね?」
「反省? どうしてそんなものしなくちゃならないの? あんたたちだって所詮金目当てで雇われたんでしょう、偉そうにつげこべ言わないで下さる?」
「開き直りは見苦しいですよ」
「うるさいわよ、小汚い裏の人間の分際で。……何だって言うのよ、だいたい、私がやったことなんて可愛いものじゃない。実際に誰が死んだっていうの? 結局恵は生きてて、この家の莫大な財産を手に入れるのよ。―――私は骨折り損のくたびれもうけだわ、ずっと年の離れた男と結婚したっていうのにはした金しか手に入らなくて」
 佳代の口調は心から悔しそうに響くものだった。自分の行いを恥じることも、罪を悔いることも、反省の素振りを見せることもなく、ただ被っていた仮面を脱ぎ捨てて爪を噛む女性に、結城は重く絡みついてくる『毒素』を感じて顔をしかめる。
 今もこびりつく悪夢のように。
「…………そういうことは、警察の取調室で思う存分ぶちまけて下さい。おれたちの仕事は貴女を警察に引き渡した時点で終了するんですから。―――流河」
「へいへい。警察が来るまで見張ってればいいんでしょ?」
「ああ。……とりあえず、おれはもう一仕事して来なきゃな」
「大丈夫、ゆーきちゃん? 何なら変わろうか?」
 へらへらと笑う相棒を睨みつけ、結城は発音を強調するようにしてはっきりと告げた。
「信用ならない」
「あ、ひどいっ!」
 ゆーきちゃんってばー、という流河の声を意識から締め出し、ふてくされた表情の佳代から意図的に視線をそらすと、結城は二人の横をすり抜けるようにしてふすまに手をかけた。呼吸ひとつ分の間を置き、勢いよく左右へ開け放つ。
 わずかな風が艶やかな黒髪を揺らしていった。
「―――これで満足ですか?」
 するする、という軽い音と共にふすまを閉め、結城は廊下の向こうに厳しい眼差しを放った。
「ねぇ、千津江さん?」






    


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